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2012年4月17日 (火)

おかざき塾・ホームページへの移行

けんしです。

すっかりブログを更新せずにいて申し訳ございません。

 

平成24年3月より、「おかざき塾」のホームページが立ち上がり、

そちらで活動の様子をお伝えしていくことになりました。

本ブログは、ここでいったん閉鎖させていただきます。

今後は、(もしご関心がございましたら)「おかざき塾」のホームページをご覧ください。

何卒、宜しくお願いいたします。

 

おかざき塾ホームページ

⇒ http://okazaki-juku.jp/

 

 

2011年5月23日 (月)

しあわせ食堂と幸せ

日曜日は、岡崎で志葉会・しあわせ食堂が開催されました。

とんぼ返りでしたが、少しだけその様子を・・・。

それにしても、栃木だったり、東京だったり、岡崎だったりと、

神出鬼没の状況になっていますね(笑)。

 

  Img_4533  Img_4537

 「3年2組、信じる絆」です。あんまり志葉会とは関係ありませんが☆

 Img_4531

 Img_4561 こちら、五平餅(ごへいもち)を焼いています。

 Img_4556 五平餅、美味しかったかな?

 Img_4568  Img_4573 

 Img_4574  Img_4566  Img_4559

 

今回は講演などはなく、楽しく和気あいあいとした会でしたね。

私は全然お手伝いに関われませんでしたが、

何日もにわたって準備をしてくださった皆様、

たくさんの美味しい料理を持ち寄ってくださった皆様、

本当にありがとうございました。

故郷に戻り、楽しい時間を過ごさせていただきました。

 

 

さてさて、記事がちょっと長くなりそうですが、

「しあわせ食堂」ということで、少し幸せについて考えてみたので書きますね。

 

今回のしおりに載っていた、たくさんの「しあわせな食事」。

みんなそれぞれがもつ、昔懐かしい食卓の様子が並んでいました。

お菓子やかき氷、寿がきやのラーメン、カレーライス、手作りお弁当、・・・。

 

今振り返ると、あれは本当に幸せな食事の時間だったんだな~と思います。

幼かった当時は、それがいつまでも続くと信じていました。

大人になるにつれて、いろんな経験を積んで、

実はそれがかけがえのない時間であったこと、

決していつまでも続くことのない時間だったということに気づくようになりました。

 

大人になった今だからこそ、当時の幸せ感がいっそう増しているように思います。

幸せって、

すごく儚くて切なくて、ある意味とっても悲しい思いと表裏一体で、

そういう辛い思いがあるからこそ、逆に輝くものなんだと思うようになりました。

死があるからこそ、生が輝くようなものですね。

そう考えると、幸せには何かすごく「厳しい側面」ももっているように

思えてきますし、「しあわせ食堂」のあり方って難しいな~と感じます。

 

しあわせ食堂に来てくれて、そこで幸せを感じてもらうことも勿論大切だけど、

むしろしあわせ食堂から帰った後の日常生活の中にこそ幸せを感じてもらうには

しあわせ食堂でどういう気づきを得てもらうことが大切なんだろうか・・・。

 

よく旅に出ると、のどかな田舎の暮らしぶりの中に、

おもてなしやおすそわけの文化があったり、

自然への畏敬や共生の考えが暮らしに根付いていたりするのを目にして、

普段の日常生活で忘れていたものや見失っていたものに

気づかされることがあります。

 

ふっと、日常生活から離れられる空間であって、

なおかつそこには何か「本質的」で「ホンモノ」の生きる姿、

懸命に生きる「叡智」のようなものが感じられる空間。

旅に出た時のようなリラックスさがあると同時に、

故意や操作的でない、純粋で本質的な、日常生活に通じる学びのある空間。

 

何だか抽象的で難しいけれど、そんな「しあわせ食堂」って出来ないかな~と

ここのところ考えています。

まだ検討中ですが、大学院を卒業した後の9月か10月頃から、

月に1回でも2回でも、岡崎の長誉館・醸庵で「しあわせ食堂」のような

「場」を作ってみたいな~と思っています。

皆様、どうかいいアイディアとご協力を、お願いいたしま~す!

一緒に、しあわせ食堂のあり方、まちづくり、ひとづくりを考えていけたら、と・・・。

 

 

ここから話はまたちょっと違うのですが、

幸せ(仕合わせ)については、中島みゆきさんの名曲「糸」が大好きです。

最後に、「糸」の歌詞を。

これもきっと、何かのヒントになるかも。

 

 

なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない
 
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
 
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない
 
 
なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って    転んだ日の跡の ささくれ
 
こんな糸が なんになるの
心許(もと)なくて ふるえてた嵐の中
 
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない
 
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせ と 呼びます
 

2011年5月18日 (水)

那須烏山に引っ越しました

那須烏山への引っ越し、那須烏山での新規事業における行政への申請書提出、

修士論文への中間審査会と立て続けにイベントが続きまして、

すっかりバタバタしていました。

このブログの更新もままなっていませんが、

ま、「元気にやってますよ」のご報告がてら、時折発信させていただきますね。

 

那須烏山の歴史や文化、様々な地域資源については別途報告させていただくとして

とりあえずは私の身の回りの様子だけご報告。

 

こちらが、私が下宿させていただいているTさんのお宅と私の部屋。

 009  005  006

思っていた以上に綺麗で広い部屋をお借りしてしまって恐縮です。

大学2年生の頃以来、ずっと和室での生活でしたので、

フローリングの部屋は新鮮です。

 

こちらは「山あげ会館」。

 006_2  ← 大震災で屋根瓦が落ちたため、現在修理中。

 

まちの中心行事である「山あげ祭」に関する展示がされています。

この中に那須烏山市の観光協会があり、

今はそちらの空いている一席をお借りして仕事をしています。

 

6月からは、私たちが立ち上げる「那須烏山文化未来塾」の仕事場が

他に出来る予定なので、そうしたら引っ越します。

 

 003  

上の写真に見えている山が、烏山とのこと。

烏山城があります。

烏山は江戸時代、岡崎出身の大久保氏が城主として移り住んだまちです。

大久保さんは今も那須烏山に在住されているようなので、

一度お会いしてみたいな~と思っています!

 

で、こちらが中心通りである「山あげ通り」の様子と、

お世話になっているTさんの蕎麦屋さん。

 004  005_2

烏山にお越しの際には、ご案内いたします。

 

那須烏山は3万人弱の小さな町です。

町の中心にも下のような広々とした公園があり、ゆとりある空間が広がっています。

 007

 

で、我が家の側には、アユの遡上で有名な那珂川が流れており、

新緑のこの季節はとても気持ちいいです。

 011

 

このような地域資源が豊富にありますので、

それを生かした地域活性に貢献していきたいと思います。

お近くに立ち寄られることがもしあれば、どうぞお声かけください。

 

2011年5月 1日 (日)

成城・喜多見・狛江旅情

もうすぐ2年近く住んだ東京を離れるということもありまして、

今さらながらこの地をよく知ろうと、我が家の周辺を歩いてきました。

歩いてみると、意外と昔ながらの風景が残っていたり、

いろんな物語があちらこちらにあったりして、

長い年月が様々に彩られて今に至っていることを感じました。

 

ということで、旅の始まり始まり~。

 

私の住んでいるところは、東京都狛江市になります。

でも、最寄りの駅は世田谷区の「喜多見」駅。

このあたり一帯は「武蔵国」にあたります。

武蔵国は律令制度の時代に、府中に「国府」が置かれています。

国分寺もありますので、中央線沿線が武蔵国の中心だったようです。

狛江は「こまえ」なので、高麗(こま)で、韓国からの渡来人が多かったとか。

日本各地にこうした韓国ゆかりの地が多くあることをみると、

日本は島国で独特というよりも、多くの交流の中で文化を培ってきた様子が伺えます。

 

さて、鎌倉時代が終わる頃には、

武蔵国の中心は府中あたりから現在の皇居の方へ移っていったようです。

室町時代、皇居付近を治めたのが「江戸氏」。

ところが江戸氏は、後に江戸城を築くことになる太田道灌に攻めこまれ、

喜多見に隠れ住むことになります。

この頃、名前も江戸氏から喜多見氏を名乗るようになりました。

喜多見氏はその後家康公に仕え、2万石の大名にまでなりますが、

元禄時代に刃傷沙汰をおこしてお家断絶となっています。

このあたりのところは、おかざき塾会報誌3月号に載っていますね。

 

で、江戸氏の菩提寺が喜多見4丁目にある「慶元寺」です。

 015  014

私の家から歩いて15分ほどでしょうか。

敷地は想像以上に広く、隣にある氷川神社と合わせて一帯が

森になっているようなそんな雰囲気です。

  007 ← こちらは氷川神社。江戸頼忠氏が改築を行っています。

 

「江戸時代」という、ものすごいネームバリューのもとが「江戸氏」で、

その江戸氏は江戸時代には喜多見氏と名乗っていたという・・・、

喜多見のお殿様はどんな思いだったんでしょうね。

 

さて、今度は喜多見から成城学園の方(都心方面)に向かって歩いていきましょう。

成城学園と喜多見の間には、「野川」が流れています。

この川を境に(厳密には世田谷区と狛江市との間で)、

ぐっと物件のお家賃の値段が変わります☆

 

 025  029  

野川は本当にいいところです。

川沿いに散歩やジョギングする人たちでにぎわっていました。

この写真だけ見たら、東京都内とは思えない感じですね。

 

このあたりは多摩川にも近く、昔はずいぶん洪水などもあったようです。

喜多見は関東ローム層でできあがった立川段丘にあるのですが、

そうは言っても、「世田谷」という地名があらわすように、

世田谷区には谷底低地がたくさんあります。

北沢、駒沢、奥沢、野沢、祖師谷、など。

水と関わりのある暮らしは、今にも息づいているでしょうか…?

 

さて、ちなみに下の写真が、野川を渡った先の成城学園の街並み。

所ジョージや松田聖子など、芸能人もたくさん住んでいるとのことですが、

一度も会わなかったなぁ。

 035  

成城学園は、田園調布と同様に、戦前において行政が決めた法規ではなく、

市民が自分たちでルールを決めてまちづくりを行った稀有な例です。

ご参考まで。

 

さて、最後は成城学園と反対方向、狛江です。

狛江市は面積で言うと全国で3番目に小さい市で、

人口密度で言うと全国で3番目に高い市らしいです。

とにかく、3番が好きということで…。

狛江は住宅街といった雰囲気のまちですが、

駅からほど近いところに「むいから民家園」があります。

ここは、「江戸宇宙」という本にも紹介されていたところで、

古民家を再生して、市から委託を受けた民間団体が運営を行っています。

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五月人形が飾ってありました。長誉館・醸庵にもありましたね。

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ここはいくつかのNPO団体などが、それぞれの活動拠点として利用しているようです。

狛江学、などの勉強会も開かれている様子。

昔の暮らしぶりを学ぶことが、今の生活の中やこれからの狛江づくりに

活きてくるといいですね。

 

ということで、成城・喜多見・狛江と、「三都物語」でした!

ゴールデンウィーク明けには喜多見を離れ、

今度は那須烏山市での生活が始まります。

まだ全然実感がわいていませんが、那須烏山についてもまたお伝えします。

那須烏山では(修論もそうですが)、文化を基軸にしたまちづくりを考えます。

どうぞ、よろしくお願いします。

 

2011年4月17日 (日)

お尻に火がつきました

ここのところすっかり、ブログの更新ペースが1週間に1度くらいになりました。

このくらいのペースになっても、何とか続けられれば・・・。

 

2月、3月と大学が春休みだったこともあり、やや緊張感が緩んでいたところに

大震災~原発問題ですっかりニュースにクギ付けとなり、

4月初旬くらいまで全然修論がはかどらない状態が続いてしまいました。

 

で、気づけばもう4月半ば過ぎ。

元々追い込まれないとやらないタチなのですが、さすがにやばくなってきました。

今も那須烏山の打ち合わせもあったりするのですが、

そちらが本格化してくる前の4月5月中に書きあげるくらいのつもりで

いかなくてはいかないのですが、まだ全然…。

 

いざ修論を書こうと思うと、先行研究などもまとめないといけないのですが、

昔読んだ内容とかも忘れちゃっていたりして、また読み返す有り様でして。

は~、何とも情けなや。

 

ようやくというか、ここのところ必死になってきました。

5月14日に中間審査があるのですが、それまでに何とか形にしなくては!

 

でもって、私の場合、これからも地域に関わりを持ち続けていくわけですし、

職業人として地域づくりの「プロフェッショナル」にならなくてはいけないと自覚し、

この修論を通じて調べたり考えたりしたことを、

修論にまとめるだけでなく、

自分の知識の体系としてもまとめていこうと思っています。

今後の仕事における礎にして、利活用したり、いっそうステップアップできるように。

 

ということで、と~っても遅まきながら、これから(も?)頑張ります!

そのうちブログが更新されなくなったら、

本当に追い込まれているか、

逃げだして音信不通・消息不明になっているかと思いますので、ご容赦を!

では!

 

2011年4月 9日 (土)

転職のご報告

最近ずっと震災のことばかり書いていましたので、

全然自分のことをご報告していませんでしたが、

このたび転職することになりました。

 

栃木県那須烏山市で、地域活性化の団体を立ち上げることになり、

その事務局として働きます。

本格的な事業開始は6月からで、4月5月は事業立ち上げのための準備期間です。

那須烏山市に住みこむ予定ですので、5月のどこかで引っ越しということになります。

 

この話は元々多摩大のM先生からお声かけいただきました。

その後大震災が起こり、紆余曲折を経ましたが、無事事業スタートできそうです。

放射線による風評被害もあり、観光面においては厳しくなるでしょうし、

地元の主力である農業も大変な状況になるかと思います。

そんな中でのスタートということで、心して臨まなければいけませんが、

自分を成長させるいい機会と信じて、頑張ってまいりたいと思います。

 

岡崎から益々離れてしまうということで、

逆に岡崎への望郷の念が強まってしまう自分の気持ちは否定できません。

難しい決断ではあるのですが、割り切ることなく腹を決めて、

一所懸命頑張ろうと思います。

そして、那須烏山も岡崎も、各地を元気にする未来へのビジョンを描き、

一人一人が幸せになれるように行動していこうと思います。

 

心が問いかけてくるのは、

自分の理想ばかり追って、現実が見えていないのではないかという声。

これからしばらく、様々な課題を抱えながらの難しいマネジメントが続くことに

なりますが、一つ一つ誠心誠意、乗り越えていこうと思います。

 

なお、大学院はまだ続きます。

7月半ばの修士論文提出に向けて指導を受けるため、

那須烏山に行ってもちょくちょく東京には出てきますし、

たとえ秋に大学院を卒業しても、いろいろな関係で、

東京、そして岡崎に出て来ることになるでしょう。

ということで、皆さま今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

2011年3月31日 (木)

一隅を照らす

震災のネタばかりが続いていますね。

自分としてはようやく少しずつ心持ちも落ち着いてきて、

本来自分のやらなければいけないことに向き合い始めれたくらいです。

とはいえ、震災についてはいろいろ学び、考えさせられることが多いので

今日もちょっとばかり震災ネタです。

どうぞ、ご容赦を。

 

大学院の同窓会MLで、以下のブログが紹介されていました。

東京に住む若い看護師さんが、現地に派遣されて綴ったものです。

著名人のツイッターなどでも紹介されているようですので、

既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、掲載させていただきますね。

報道ではなかなか伝わってこない現場の様子がとてもよくわかるとともに、

こうして頑張っていらっしゃる姿に勇気づけられ、

また感謝の気持ちでいっぱいです。

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

 

 

また、以下は多摩大学大学院の田坂先生のメルマガの内容です。

転載させていただきます。

 

  田坂です。 

  3月23日に、
  いま、あなたに何ができるのか

  - すべての人が社会に貢献できる生き方・働き方 -

 

  というテーマを掲げ、
 
 社会起業大学での記念講演を行いました。

 

  いま、我々は

  東日本大震災の惨禍と混乱の中にあります。

  この惨禍と混乱の中にあって

  いま、我々は、何を考えるべきでしょうか。

 

  この東日本大震災。

 

  二万人を超える方々が命を失った

  この大震災と大津波。

 
  それは、なぜ、起こったのか。

  いま、我々は、そのことを考えるべきでしょう。

 

  ただし、その意味は、決して、

  日本は地震国であったから

  日本は島国であったから

  そういう意味ではない。

 

  そうした「科学的説明」よりも
  
大切なものがあります。

 

  「意味」を感じる力。

  それが、いま

  深く問われています。

 

  そして、我々の心の奥深くには
  
いま、共通の感覚が、ある。

  この大震災は

  起こるべくして起こった。

  その感覚が、あります。

 

  それは目の前にある、現実。

  混迷する政治

  低迷する経済

  共感を失った社会

  倫理を忘れた経営

  働き甲斐の無い労働

  浮薄な文化

  弛緩した精神

 
  実は、我々の誰もが、そのことを感じていた。

  そして、我々の誰もが、心の中で感じていた。

 
  いつか、この国は、経済の破綻に直面する。

  そのとき、我々日本人は、

  大切なことに、気がつくのだろう。

 

  誰もが、そのことを、心の中で感じていた。

  この、我々の中に、共通にあった感覚。

 
  しかし、実は、この感覚の中に

  すでに、甘い認識が潜んでいた。

 

  2011年3月11日。

  何が起こったか。

 

  政治、経済、社会、文化の
  すべての破綻を遥かに超え
  
史上空前の危機がやってきた。

  一瞬にして失われた、二万人を超える

  尊い命。

 
  いま、誰もが、この事実の前に、

  言葉を失い、茫然と立ち尽くしている。

 

  しかし、この最も痛苦な時期だからこそ

  我々が、自らの心に、深く問わなければならない

  大切な問いが、ある。

 

  この方々の尊い命は、なぜ、失われたのか。

  その問いを、問わなければならない。

 

  そして、その問いを通じて
  我々が、気がつくべきことが、ある。

 

  この方々が、その尊い命を賭して

  我々に、教えてくれようとしたものが、ある。

  そのことに、気がつくべきでしょう。

 
  では、それは、何か。

 

  この講演では、そのことを語りました。

  この講演の全録音を

  下記のソフィアバンク・ラジオ・ステーションで

  公開しました。

  

  http://www.sophiabank.co.jp/audio/japanese/2011/03/post_340/

 

  お聴き頂ければ、幸いです。

 

(転載、ここまで)

 

本業を通じた社会貢献。

私も、この大震災をしっかり胸に受け止めながら、

目の前のやるべきこと、仕事や修論、生活をしっかりやっていきたいと思います。

 

ちなみに修論に関しては、

多摩大学大学院のM先生から、以下のようにメッセージをいただきました。

 この震災を踏まえ、真のまちづくりへの考えを
 
堂々と発表してください。
 
本当に人間が生きるとは何か、
 
その生きる人間を支えるまちづくりとは何か、
 
前例を越えて提案する時期です。
 
どんどん書き込んでください。

 

私にはとても身に余る言葉ですが、精一杯がんばろうと思います。

 

「一隅を照らす。これすなわち国の宝なり。」

最澄さんの言葉。本当に素晴らしい言葉だと思います。

皆さんがそれぞれの場所で成されていることに刺激を受けながら、

私も自分にできることに尽くしていこうと思います。

 

最後に。

おかざき塾の会報誌「醸」の4月号のテーマは、「平穏でありますように」でした。

どうか、平穏でありますように、と願いながら…。

 

2011年3月24日 (木)

ともにがんばりましょう!

日経ビジネスオンラインで、被災者との向き合い方について

河合薫さんの記事が載っていましたのでご紹介します。

河合薫さんて、ニュースステーションで気象予報士だった方ですね。

こういう記事も書かれているなんて、驚きでした。

 

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110322/219097/?rt=nocnt

 ※この記事って誰でも全部読めるわけではないのかな?

  もしかすると、私はメルマガ登録しているから読めているだけかもしれません。

  もし読めなかったら、ごめんなさいっ!

 

私としてはこの記事の書かれている通りにしてくださーい、と押し付ける気はないです。

前回記事でM先生が倫理観について触れられていたように、

善悪を判断することは難しく、決して人に押し付けられるようなものではないので。

こうした意見もあるんだな~ということで、見ていただければ。

 

私個人としては、基本的にこの記事における被災者への接し方に賛同しています。

ただ難しいのは、心のどこかで「被災者をこうやって救ってやろう」などという

操作主義がはびこむことはあってはならないと思います。

 

被災者の方は今、大変な困難の中にあると思います。

これからに対する不安は、ものすごく大きなものがあるでしょう。

でも、批判を恐れずに言わせてもらいますと、

「今この瞬間にいのちがあり、現実と格闘しながら真剣に生きている者」という

目で見れば、私だって同じ立場の人間だとあえて言いたいのです。

もちろん、置かれている悲しみや苦しみの度合いは、私とは雲泥の差があります。

だから私はこんなことを言える人間では本当にないのですが、

でも、心を鬼にしてあえて言います。

 

  共に頑張りましょう!

  共に今この現実を生き切って、

  輝かしい明日を得るために、

  明日を生きる子供たちのために頑張りましょう!

 

30歳そこそこの、

たいした人生経験もない人間が、

本当におこがましいことを言っていますが、

私の心からのメッセージであり、自分へのエールです。

 

2011年3月22日 (火)

買い溜めについて

被災地ではない首都圏で買い溜めが広がっていることについて

買い溜めを控えましょうと喧伝されていますが、

その件について多摩大学大学院のM先生がブログで語られています。

以下、ご紹介させていただきますね。

 

 なぜ「買い溜めする人が批判されるのでしょうか?」

 買い溜めするかしないかは倫理観の差か?

 買い溜めするかしないかは倫理観の差か?(2)

 第一次オイルショックのときの「買い溜め」を思い出す

 

先生がブログの中で書かれているように、

リーダーは普段から「理念」をしっかりさせておかなければいけないと痛感しました。

特にこうした、瞬時に物事を決断をしていかなければいけない状況では、

もろに露呈してしまうんだな~と、よくわかりました。

はたして自分だったらどう対応できるだろうか。

信念に基づいた対応ができるよう、もっともっと自分を磨かないとと思います。

 

 

さて買い溜めについてですが、

当初私は、東京でモノが店頭から無くなっていく状況を見ていて、

「震災で物流が混乱しているからな~」、とのんびり考えていました。

買い溜めのためにモノが無くなっているとは、実は全然考えておらず、

自分のあまりの危機意識の低さにちょっと反省しきりだったりします。

 

ただ、元々2~3日分の水と食糧は蓄えをもっている

(↑このへん意外とチャッカリしているあたりが、ちょっとオハズカシイ)のと、

やっぱり故郷・岡崎があるという大きな安心感のおかげで、

買い溜める必要性を全く感じずに過ごしています。

根底に安心感があるから、倫理観も働いているのかな、と感じたりします。

 

 

しかし!

思いがけないところに試練が待っていました。

今は、花粉症の時期です。

私にとってこの時期は、ティッシュペーパーが大量に必要なのですが、

・・・どこにも売っていない。

まさか、ここで買い溜めの影響が自分に降り注ぐとは。

 

先日、耳鼻咽喉科に勤めるKさんから、

「緊張感をもっている人は、花粉症をはじめ、アレルギーを発症しない」

というお話を聞いて、ますますわが身の試練を感じます。

緊張感の無さが露呈したようで…。

まずは花粉症ごときで、つべこべ言わずに

目の前のやるべきことに精神集中しなくてはいけないですね。

 

2011年3月19日 (土)

日本の転機

ここ一週間はあまりにもいろいろなことが起きすぎて、

何も手につかないままニュースばかりが気になる毎日です。

今回の大震災をどう考えたらいいものかといろいろ思案しても、

いまだ救援物資は行き届かず、原発問題はどうなるか分からないような状況なので、

何をどう整理して書いていいものやら。

とりあえず、最近思うことからつらつらと書き始めてみます。

うまくまとまるか、分かりませんが…。

 

(1)個人的なこと

こんな事態ですから、自分にできるせめてものこととして義援金を出したりしている

わけですが、やっぱり何とかして現地に行って少しでも手助けしたいわけです。

まあ、その気持ちの中には、純粋な気持ちから発せられる部分だけでなく、

私の中にある偽善や独善、何か対価を得ようとする欲や興味本位といった

エゴから発せられる部分があることも、決して否定できないような気がします。

だから現地に行ってボランティアとして携われる人を、羨む気持ちすら少しあります。

もちろん実際に行動に移せる人への尊敬と感謝の気持ちの方が強いんですけど。

 

今自分は、やれることを精一杯やっているという気持ちと、

本当はもっとやれることがあるんじゃないかという気持ちの葛藤の中で、

若干の忸怩(じくじ)たる思いを覚えながら過ごしているこの頃、

といったところでしょうか…。

 

 ※ 一方で、我が家が計画停電に当たらないといいな~とか、

   放射線量がほんのちょっと上がっただけで東京から逃げ出したいな~とか、

   現地の人には申し訳ないくらいの気持ちもいっぱい湧きあがってくる

   自分を感じながら、毎日通勤しているんですけどね☆

 

自分が現地に行っても何もできずに、お邪魔になるばかりのことは十分承知

していますので、ここは現地で頑張っていらっしゃる皆様に最大限の感謝と

応援の気持ちを送りたいと思います。

皆さま、がんばってください!

 

被災地におけるこれからの再起は、きっと長期に及ぶものと思います。

いずれお役に立つことができるよう、今はしっかりと自分のやるべきことを見つめ、

こうした気持ちをいつまでも持ち続けていかなければと思っています。

 

 

(2)日本のこと、など

こういう非常時の時には、リーダーのあり方というのがすごく浮き彫りになるなぁと

あらためてながら感じています。原発の最前線で、何とか大事故を防ごうと

今も頑張ってくださっている皆様、本当にありがとうございます。

心より感謝いたします。

 

個人的に言わせてもらうと、「決死隊」という言葉は好きではないです。

もしリーダーなら、彼らの命のことを自分の命以上に慮るでしょうし、

彼らをこうした状況に追い込んだ責任は、

我々にだって(もちろん私にも)あると思います。

私自身これまで政治に無関心でしたし、こうしたときに頼りとなる本当のリーダーを

我々が育ててこれなかったということもあるように思います。

 

 

将来のことはわかりませんが、

今回の大震災は日本の転機であることは間違いないと思います。

ニュースでも流れていますが、これから新しい原発を作ることは相当困難になったと

思います。これからどうエネルギー問題を乗り越えていくかは、大きな課題ですね。

日本政府の対応や情報開示のあり方で、アメリカをはじめとして随分諸外国の

不信を招いてしまったようですし、国内外からの圧力でこれからどうなっていくか…。

 

個人的にものすごく残念なのは、わずかであっても放射能が漏れてしまったこと。

これからアジア各国がどんどん豊かになっていく中で、

日本の農産物が海外の富裕層に高級品として売れ出した矢先だっただけに、

放射能漏れによる風評被害で売れなくなる、もしくは価格が下がってしまう事態は

避けたかったです。既に各国の過剰な反応は始まってしまったようですが…。

 

これから数年もしくは十数年にわたって、日本は厳しい時代を迎えるかと思います。

円高がいつまで続くか分かりませんが、日本から海外に出ていく企業や個人も

多くあるでしょうし、その後にやってくるであろう円安は

ハイパーインフレになりかねない要素を孕んでいると思います。

でも、危機の時こそお互いの絆は強くなりますし、変革は起こしやすくなります。

安政の東海・東南海地震も、関東大震災も、阪神淡路大震災も、

どんなときでも再び立ち上がってきています。

だから、今回の大震災も間違いなく復興しますし、

これから訪れる日本の危機もきっと乗り越えられます。

問題はどう復興するかです。

これまでと同じように再建するのではなく、この大震災と一連の危機から

何を学びとって教訓にし、どういう次代を築き上げていくかが問題だと思います。

だから、この「大震災が起きた」というその意味を、

どのように捉えていくかということはすごく大切なことだと思います。

そして、その復興のキーマンになるのは、今回の東北・関東で厳しい状況の中から

立ち上がってくる人たちではないかと思います。

新しい社会を築くためにも、今の困難をぜひ皆で乗り越えていきたいと

願うばかりです。

 

長々となってしまい、すみません。

最後になりますが、大学院の先輩のブログに、今の福島原発の危機を解決する

最終兵器?が掲載されていましたのでご紹介します。

http://ameblo.jp/kaztakei-ramjapan/entry-10833975415.html

記事の真ん中あたりの映像リンクです。

どうぞ、ご覧ください。

 

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