しあわせ食堂と幸せ
日曜日は、岡崎で志葉会・しあわせ食堂が開催されました。
とんぼ返りでしたが、少しだけその様子を・・・。
それにしても、栃木だったり、東京だったり、岡崎だったりと、
神出鬼没の状況になっていますね(笑)。
「3年2組、信じる絆」です。あんまり志葉会とは関係ありませんが☆
今回は講演などはなく、楽しく和気あいあいとした会でしたね。
私は全然お手伝いに関われませんでしたが、
何日もにわたって準備をしてくださった皆様、
たくさんの美味しい料理を持ち寄ってくださった皆様、
本当にありがとうございました。
故郷に戻り、楽しい時間を過ごさせていただきました。
さてさて、記事がちょっと長くなりそうですが、
「しあわせ食堂」ということで、少し幸せについて考えてみたので書きますね。
今回のしおりに載っていた、たくさんの「しあわせな食事」。
みんなそれぞれがもつ、昔懐かしい食卓の様子が並んでいました。
お菓子やかき氷、寿がきやのラーメン、カレーライス、手作りお弁当、・・・。
今振り返ると、あれは本当に幸せな食事の時間だったんだな~と思います。
幼かった当時は、それがいつまでも続くと信じていました。
大人になるにつれて、いろんな経験を積んで、
実はそれがかけがえのない時間であったこと、
決していつまでも続くことのない時間だったということに気づくようになりました。
大人になった今だからこそ、当時の幸せ感がいっそう増しているように思います。
幸せって、
すごく儚くて切なくて、ある意味とっても悲しい思いと表裏一体で、
そういう辛い思いがあるからこそ、逆に輝くものなんだと思うようになりました。
死があるからこそ、生が輝くようなものですね。
そう考えると、幸せには何かすごく「厳しい側面」ももっているように
思えてきますし、「しあわせ食堂」のあり方って難しいな~と感じます。
しあわせ食堂に来てくれて、そこで幸せを感じてもらうことも勿論大切だけど、
むしろしあわせ食堂から帰った後の日常生活の中にこそ幸せを感じてもらうには
しあわせ食堂でどういう気づきを得てもらうことが大切なんだろうか・・・。
よく旅に出ると、のどかな田舎の暮らしぶりの中に、
おもてなしやおすそわけの文化があったり、
自然への畏敬や共生の考えが暮らしに根付いていたりするのを目にして、
普段の日常生活で忘れていたものや見失っていたものに
気づかされることがあります。
ふっと、日常生活から離れられる空間であって、
なおかつそこには何か「本質的」で「ホンモノ」の生きる姿、
懸命に生きる「叡智」のようなものが感じられる空間。
旅に出た時のようなリラックスさがあると同時に、
故意や操作的でない、純粋で本質的な、日常生活に通じる学びのある空間。
何だか抽象的で難しいけれど、そんな「しあわせ食堂」って出来ないかな~と
ここのところ考えています。
まだ検討中ですが、大学院を卒業した後の9月か10月頃から、
月に1回でも2回でも、岡崎の長誉館・醸庵で「しあわせ食堂」のような
「場」を作ってみたいな~と思っています。
皆様、どうかいいアイディアとご協力を、お願いいたしま~す!
一緒に、しあわせ食堂のあり方、まちづくり、ひとづくりを考えていけたら、と・・・。
ここから話はまたちょっと違うのですが、
幸せ(仕合わせ)については、中島みゆきさんの名曲「糸」が大好きです。
最後に、「糸」の歌詞を。
これもきっと、何かのヒントになるかも。
なぜ めぐり逢うのかを 私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを 私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない
なぜ 生きてゆくのかを 迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って 転んだ日の跡の ささくれ
こんな糸が なんになるの
心許(もと)なくて ふるえてた嵐の中
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせ と 呼びます































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